ありがとう~

ALS

父が亡くなる前日、主人と従姉で斎場に行き事前相談をしてくれていました。があまり早すぎたので斎場の準備が出来ていなくて、告別式が27日になりました。

長男は息子たちと共に、船の中で訃報を聞き、25日に電車とバスを乗り継いで斎場へ、嫁ちゃんは兵庫から一人で車で向かってくれました。三男家族も25日に、次男家族も仕事の調整をして26日に宮崎に向かってくれました。

26日の通夜の時に、ビデオ通話で繋いでくれて従兄妹やその奥さんたちと挨拶出来ましたが...こんな時、声が出たら!って歯がゆい思いをしました。父と最後の時も父から見えていたかわかりません!声が出ていたら!って思いました。 

通夜の時、父が亡くなって初めて顔を見ました。とっても穏やかで眠っているようでした。その顔見て私も安心しました。心から「お疲れさまでした」って声かけれました。後で聞いたところ、亡くなって納棺士さんみたいな人が来て体や顔を整えてくださったみたいです。それでも安らかな顔でした。

27日午前11時30分から告別式でした。時間前からビデオ繋いでくれました。喪主を母にして、私の喪服を持って行ってもらいました。三男が施設まで迎えにってくれて...車の中で号泣してたそうです。お棺の蓋を開け車いすごとみんなに抱えられ、父の顔を覗きながら一生懸命声をかけてる母がいました。それ見て私も号泣しました。携帯で母の顔を見ましたが、いくら言っても声は届かず、母もわかっていたのか、慰めも出来ませんでした。

母と同じ施設に入所してる、父の妹 叔母も車いすで従兄が連れて来てくれてました。「5人いた兄妹で2人残ってたとに、一人になってしもうた」ってしっかり理解していました。

告別式が始まり、お経の後 長男が孫代表で挨拶をしてくれました。じいちゃんとの思い出など言ってました。それ聞きながら私も号泣(ヘルパーさん涙拭くのに忙しく)

喪主の挨拶として、私が文章考え主人に読んでもらいました。

最後に出棺の準備です。靴や麦わら帽子を入れてくれてました。「ほい!ほい!おきん!おきん!(ありがとう~ありがとう~)」と言ってるような気がしました。孫のあきとやきいちも花を入れて、あきとは額を触りながらお別れしてました。

後日斎場から写真が送られてきました。それを見ると出棺時、あきとときいち小さい体で棺桶を抱えていました。あきとは泣いて、きいちは母の所に行き、母の顔にほっぺたをくっつけてスリスリしてました。きいち曰く。。。「ひじいじ いなくなったけど近くにいるよ!って体で教えたかったんだー」と。その言葉に私も慰められました。

火葬後も繋いでもらい収骨も見て、その後の初七日法要も繋いでもらいました。

終わった後、お坊さんから「今日は家に連れて帰って、寂しいだろうから焼酎を飲ませてあげてください」と言われてました。主人と従兄が一緒に泊まってくれました。

翌朝、綺麗な虹がかかっていたそうです。それも二重に。。。きっと父が「ありがとう~」とお礼を言ってたのかもしれません。

父が亡くなる前から、従姉弟やその家族の人たちには 面会に行ってくれたり亡くなった後もいろいろ動いてもらって、主人も助かったと言ってました。お陰様で穏やかに父を見送ることが出来ました。

心から感謝申し上げます。  ありがとうございました

(長文最後までお付き合いいただいてありがとうございました)