11月24日午後7時45分ごろ、父が91年間の人生を終えました

9月に食道癌が見つかり、すでに手遅れ状態で施設で診てもらう事に。。。

11月に入り、毎日のように施設の方から状態報告があり、流動食や水までも戻してしまって点滴も針を抜いてしまうと...9日に主人が宮崎に行ってくれました。私も父に、病気になったから点滴を受けて欲しいと、母には父が病気にになったから、父の傍に居て欲しい。。。と主人に代筆してもらい手紙を持って行ってもらいました

主人が宮崎に行って、施設と病院と今後について話し合ってくれました。病院からは、父はもって1~2か月と余命宣告されました。施設の方からは、看取りの体制に入り4人部屋から個室に移る事、いつでも直接面会が出来るようになると説明を受けました。そして外出も許可してくれると。。。

15日に主人は、父を外出させるため車いすごと乗れる私が使っている福祉車両で宮崎に行き、三男家族とともに父を自宅と、生まれ育った実家に連れて行ってくれました。父は、婿養子です。8歳の頃実母を亡くし それ以来5人兄妹と実父とで生きてきました。16歳の頃に姪っ子が生まれ...それ以来4人の姪っ子甥っ子との付き合いで、父は、甥っ子姪っ子に会うと「心が落ち着くわ~い」と言っていました。外出時に4人の従兄妹たちにお願いをして来てもらいました。

16日 自宅に帰った時、ビデオ通話で繋いでもらいました。従姉たちに囲まれ楽しそうに会話する父、三男の子燈里を抱っこしてあやす父の姿を見ることが出来ました。痩せてきつそうに見えました。体に負担を掛けてはいけないと2時間くらいで施設に戻ったそうです。

両親の事、実家の事すべてを主人に押し付け、連絡の取れなかった弟がやっと連絡して来ました。20日に会いに帰ると言ってきました。会いに行ったのはいいのですが、再び父を連れ出し、親せきの家や自分の友達の所に連れて行き、おまけに歩かせたそうです。弟からは、スタスタと歩いてすごく喜んでたと連絡して来ました。

しかし、翌日には、血圧が取れなくなったと連絡がありました。

心配になった主人は、22日の夜に宮崎に行き父に付き添ってくれました。

23日の午後、ビデオ通話で繋いでくれました。そこには、従姉の娘家族やお嫁さんと孫たちが居て、賑やかでした。「トイレに連れて行ってくれんね!」って訴えてた父。ですが上体を起こすだけで、意識喪失を起こしてしまうのでみんなで なだめてくれていました。その日は、みんなが集まり賑やかだったので、父も嬉しかったのでしょう機嫌が良かったらしいです。その時が生きてる父の顔を見たのが最後となりました。

24日の夕方、長男親子3人で宮崎のおじいちゃんに会いに、神戸からフェリーに乗って出発していました。

父は、トイレに行こうと足をベット柵に足を掛けたりしていたそうです。従姉たちも面会に行ってくれて。そのうちだんだんと動かなくなり。。。主人の膝上に手を伸ばしてきたそうです。きっと「奈津美を頼んだよ」と言いたかったのかもしれません。

主人も、明日には長男達も来るから頑張れ!って励ましたそうですが、午後7時45分ごろ大きく息を吸ったのが最後に、母と主人に看取られながら旅立ちました。

15分後に主人に電話をすると、死亡確認をするため父を連れて病院に向かっていました。従姉たちも駆けつけ、清拭とかしたみたいで 従姉が「奈津美の分よ」と言って顔を拭いてくれたそうです。

それから従姉の息子さんの車で自宅まで連れて行って、ご飯を上げてくれたそうです。

最期を看取ってくれた主人や従姉たちとその家族のみんなには、父が最後まで寂しい思いをしなかったことに感謝の気持ちでいっぱいです。

PS 夫からひとこと:妻が発病して長距離移動も叶わず両親に会うことが出来なくなって4年。やがて1年前になる年末年始、何とかして義父にも楽しい年末年始を過ごしてもらいたい、そして妻と会わせてあげたいとの思いからそれが実現出来た。そして今、まさかこうなるとは考えもしなかったが、思えば僅かな数日であっても一緒に過ごせて良かったと思う。      最後に、約1週間の間自宅を留守に出来たのも重度障害訪問サービスのおかげです。ありがとうございます。

(長文最後までお付き合いいただいてありがとうございました)

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