このブログを始めて丸4年が過ぎました。

毎日外を眺めてると、押し車を押して歩いたりお隣の人たちとお喋りしていた頃が懐かしく思い出されます。

ご近所さん宅の前で(2019.11)

2019年(57歳)~診断、退職、治験~

1月、近くの脳神経内科で検査の結果、異常がないので大学病院か総合病院で筋電図の検査を受けてくださいと言われ紹介状をもらう。

「筋電図」のキーワードで調べると出て来たのは「筋萎縮性側索硬化症(ALS)」症状がドンピシャ!他を探してもそれ以外にはなく「まさか!」「何で!父と母はどうする?仕事は?これからどうなる?」ショック過ぎて大声を出して大泣きしました。この時期が一番辛かったです。

2月、総合病院で筋電図の検査を受ける。「萎縮症ですね」と言われ、それって筋萎縮性側索硬化症の事?聞き返すのも怖くてモヤモヤした気持ちのままに…

3月、次男家族が嫁ちゃんの実家に引っ越しして帰ってくる。次男の勤め先が総合病院に決まる。

4月、主人と次男夫婦4人で 筋萎縮側索硬化症の診断を受ける。主人はショックを受けていたみたいですが、私はやはりそうだったか~って思いでした。

5月、保健所に難病指定の手続きをして、リルゾールの服用開始。

布団を干したり押し入れに抱えて直すことは出来ていたが、腕を上に上げる動作、洗濯物を干すとか味噌汁をお玉でつぐことが時間がかかるようになる。

6月、仕事を辞める。治験を受ける為、京都大学を受診

8月、治験を受ける為、再び京都大学病院へ。半年間の日程が決まっていたが、検査の結果肝臓の数値が悪く断念。主人と2人病院を出ると気持ちを表してるかのように大雨に雷が鳴ってゲリラ豪雨の中、長男宅へ帰路に就く。

長男宅にて(2019.08)

9月、1か月間長男宅で過ごす。

毎日朝夕と散歩をし2000歩は歩くようにしていた。手を動かすためクラフトでカゴを作っていたが完成ならず。長崎に帰る前夜、立ち上がることが出来ず長男夫婦に助けてもらう。

10月、長崎に帰る。身体障害者と介護保険の手続きをする。

2階で寝ていたが誰もいない時落ちたら…と思い2階に上がらなくなる。

11月、実家から母が使っていた押し車をもらって来くる

外を歩てて、もし転倒したら手が出ないから頭から転んでしまうので、母のお下がりの押し車を使って歩く。午後半日お隣さん達とお喋りするのが楽しみだった♪

12月、身体障碍者1級と要介護1の判定。以前ケアマネの研修でお世話になった方の居宅事務所にマネージメントをお願いし、担当のケアマネさんが決まる。介護用ベットや家の中の手すり、押し車、車椅子などの福祉用具が揃う。

ついに床に座ってて立ち上がれなくなる。それからは1日食卓の椅子に座って過ごすようになる。車の運転も左折する時がうまく曲がれなくなり運転も諦める。ラジカットの点滴を近くの個人病院で受ける。タクシーを利用する。

今思うと…

診断を受けるまでが一番辛い時期でした。診断を受けてからは、「泣いてても病気は治らないし、なったものは仕方ない。その時その時の体の状態が維持できるようにしよう」と思っていました。将来動けなくなって呼吸器を付けるようになるって、話を聞くのもイヤだったし想像するのも病気に負けるような気がして考えないようにしていました。そして急激な運動を避け一定の運動を続けることを心掛けました。

(最後までお付き合いいただいてありがとうございました)

家族の最新記事8件