10月になったと思ったらあっと言う間に月末になっちゃいました。16日が主人の誕生日でした。14日の夜次男家族と三男カップルが来て誕生会をしてくれました。久々にみんな集まって賑やかな食事会でした。

2020年(58歳) ~転倒、手術、車いす生活へ~

1月 訪問看護師、入浴介助で利用開始

料理...みそ汁やおかずは、数日分まとめてつくっていた。腕が上がらないためみそ汁を注ぐ時はおわんをシンクの中に置いて鍋を傾けてこぼし入れていました。それを両手で持ち上げ流し台の上に。ワゴン車をくっつけ、また両手で落とさないように両手でお椀をつかみワゴン車の上に載せていました。ご飯も同様に、炊飯器の横に茶碗を置きしゃもじでご飯をすくい上げ落とし込んでいました。茶碗を持つ力もなかったのです。それをまた両手でワゴン車の上へ。テーブルまで来て座る頃にはくたくたになっていた。

服の着脱...両手が上がらないので服を脱ぐときは洗濯機の上に両腕を乗せ頭の後ろから服を引っ張り脱いでいた。服を着る時は袖を腕に通しタンスの上に腕を乗せて頭を入れ着ていた。時には着替えをするだけでも1時間以上かかる時もあった。

2月 ラジカットの点滴を近くの病院でしてもらっていたが、10日間タクシー代が1万以上かかるため訪問看護師さんにお願いをする。三男が帰って来て二人暮らしになる。介助もしてもらえるようになり、かなり助けられ安心できる日々が送れるようになる。

3月 この頃ネットでパーキンソン病の薬、ロピニロールを注文し服用していた(IPSの検査で慶應義塾大学病院で治験が行われていた)

4月 近くの脳神経内科へリハビリに通う。三男は介護福祉士を目指し専門学校へ通学開始。

6月 30日転倒、

7月 1日右足骨折のため総合病院に入院。2日手術をし骨折部分を金属で固定する。その後次男がリハビリを担当してくれて歩行器で70mくらい歩けるようになる。

8月 リハビリ目的で時津の北病院へ転院。難病専門の病院とあって看護師さんやリハビリの先生方がとても親切で安心感を覚えました。月1回2週間ラジカットの点滴をしながらリハビリを行っていると聞き、かかりつけの病院を総合病院から北病院に変える。ロボット「ハル」のリハビリ開始。

ロボットHALでの歩行訓練

リハビリで歩行器を押し、休み休み100m歩いていた。寝返りや食事もまだ自立、病室からトイレまで見守りされながら移動、トイレでのズボンの上げ下げは介助してもらう。車いすも自走しながら移動していた。

9月 退院して帰る。自宅での入浴が困難なためディサービスを利用開始。なるべく歩行器で歩くように心がけていた。三男が私の介助をしながら学校に行くのも大変なので朝夕とヘルパーを利用する。

上肢訓練

10月、11月 再び入院してラジカットの点滴とリハビリを受ける。同じ病気の人と仲良くなろうと声かけようとしてたら、それが看護師さん達間で問題になって三男に連絡があったのもこの月でした。猛省しました。

食事 腕がだんだんと上がらなくなり食べる時は頭を下げていたけど、その頭も持ち上げるのも大変になり介助されることが多くなる。

12月 コロナ感染の影響で県外人との接触も制限される。生活の中で歩く機会が無くなりだんだんと歩けなくなる。

今思えば…

転倒したことが進行を早めたように思います。転倒の原因もロピニロールの副作用で膝に力が入らなくなり動けなくなったことだと思います。治験では進行を7か月遅らせることが出来治療薬として国に申請したと聞きましたが、いまだに認定されていないようで、ネットでマネーゲームにされてるって記事も見ました。悲しい事ですね!

当時同じ病室でお友達になった方たちは、元気でいるのかなぁ~。本当に一期一会の出会いでした。それも転倒して骨折したおかげて北病院行けた事です。その後北病院にはいろいろと助けられたので結果的には良かったと思います。

(長文最後までお付き合いいただいてありがとうございました)

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