2020年は、転倒して足の骨折、車椅子の生活へ、足や手の筋力低下が酷くなっていった年でした。

2021年(59歳) 気管挿管~気管切開へ

1月 コロナ感染予防の為県外の人との接触が制限された年でした。次男の嫁ちゃんのおかげで正月は、兵庫から帰ってきた長男家族を含め家族みんなで過ごすことが出来ました。正月後2週間次男宅にお世話になりました。

2月~7月 毎月2週間くらいラジカットの点滴とリハビリ目的で入院をしていた。

この間状態はさらに悪化、寝返りが出来なくなり歩行も難しくロボットHALのリハビリも終わる。肺活量の検査も88歳くらいの力しかないと言われ、フーッと吐く値も200→160→140と下がって行ってた。

8月 次男家族と主人と五島旅行に行く。出発数日前風邪症状が出て薬を飲んで対応、ところがホテルのベットが硬くて眠れず咳と痰が出て、痰を出し切れず苦しくて…主人もその時期リウマチの症状が出て辛そうでした。結局、夜も眠ることが怖くて眠れず2泊3日の旅を終えて帰ってきました。いろんな意味で思い出に残る旅でした。

五島旅行

帰ってきた翌日三男と近くの脳神経内科に行って口から吸引をしてもらうとまぁ~苦しい苦しい。吸ってもらってもすっきりせず。その夜また咳き込み痰が出せず救急車を呼んでもらい近くの記念病院へ搬送してもらい入院。次の朝食後に咳き込み、痰を引いてもらうが症状が治まらず口から吸引で苦しいし、咳も止まらず痰も取れず苦しんでいると喉の奥まで金属の太い工具?みたいのを突っ込まれ息が出来ず死ぬかと思いました。気管挿管です。口から呼吸器を入れられると症状は治まりました。

次の日、総合病院へ。数日過ごしかかりつけの北病院へ転院。顔見知りの看護師さんやリハビリの先生、主治医の先生の顔を見て安心したのを覚えています。そこで抜管してもらいました。また同じ症状が出たら…と思うと怖かったですが、そのまま治まり痰も出せるようになり回復しました。

その時点でラジカットの点滴や呼吸器を付けないと決めると定期入院もなくなり、最後の入院と言われました。

9月~11月 退院後デイケアと訪問入浴、重度訪問介護を利用開始する。重度訪問介護の情報も北病院からケアマネに教えてもらう。 それまで24時間介護が必要になった時誰もいないので福岡の施設に行くしかないかな~とか悩んで入院中に看護師さんに相談していました。重度訪問介護は介護保険のヘルパーと違い、24時間利用が出来、家族が居ても来てもらえ逆に家族が休憩させてもらえるというサービスです。私もケアマネの資格を持っていますが初めて知りました。

痰の症状は落ち着いていたが血圧の値が下が95くらいに上がるようになりSpo2も良くて95までしか上がらなくなり、喋る声も小さくなる。

12月 再び咳と痰が出せなくなり記念病院に入院。その夜痰が詰まり何回も引いてもらう。翌日脳神経内科の先生が居ないので大学病院に搬送される。27日に気管切開の手術を受ける。

今思うと~

手足の筋力低下は自覚できるけど、呼吸器の筋力低下は痰が出せなくなり怖い思いをしました。血圧の異常も原因を聞いても塩分の取り過ぎとか言われたけど、呼吸器の筋力低下で体に負担が出始めていたのかな~とSpo2の値も今思うと酸素不足を表していたのかな~

しかし自分的には、気管切開はまだまだ先の事と思っていたので手術が決まった時はショックでした。何とか手術しなくてすむ方法はなかったのかな~って思ったり、ALSの病名をもらってる以上は仕方ないかーと諦めました。

(最後までお付き合いいただいてありがとうございました)

普賢岳の霧氷

ALSの最新記事8件