障害の福祉サービスに重度障害ヘルパーがあります。1日24時間介助を受けられるサービスです。

入院中に市の福祉課の方(長男の同級生で私のことを相談していたようです)が調査に来てくれました。( その節はお世話になりました)

そして障害の福祉サービスを受けるには、1か月間在宅している証明が必要で、半月入院していたので今まで手続きが出来ていませんでした。9月になってケアマネさんが申請してくれました。10月の終わりに受給者証が届き、6区でした。(何区中の6区なのかはわかりません)

今月から重度障害ヘルパーの利用が出来るようになりました。まずは、1か月135時間からスタートです。週2回火曜日と木曜日、9時から18時まで利用する事にしました。利用時間も市への申請が必要で、重度障害ヘルパーの事務所(長崎市内)の方の話によると、ここの市では私が第一号の利用者みたいです。。どんな方がこられるか楽しみです。

重度障害福祉サービス受給者証

抜管

8月11日K病院へ転院しました。病室に入ると見慣れた看護師さん達が待っていて、とても安心しました。先生から「抜管をします」と言われ、抜管?と思いましたが、それが口から呼吸器を抜く事と分かった時には「やったー\(^o^)/」と大喜びしました。

その夜は、なかなか寝付けず朝目覚めると、どこで寝ているのかわからない位熟睡していました。8時を過ぎていました。

そして、いよいよ抜管の時がきました。ベッドの周りを主治医の先生やリハビリの先生、看護師さん達総勢10名近い人達が集まっていました。呼吸器を口から抜くと同時に顔に張り付いてた機材も一緒に取れ、まるでエイリアンを剥がし取ってるような感じに思えました(笑)呼吸器が完全に取れると大きく深呼吸を何回もしました。先生が肺を押しながら呼吸がしやすいように介助してくれていました。自立呼吸がスムーズに出来るようになりすっごく楽になりました。

その日の午後には、鼻からカメラを通し呑み込む検査をしました。先生がカメラを見ながら、担当の言語聴覚士がゼリーとトロミ付きの水を飲ませてくれて、私的には問題なく呑み込めたと思ったのですが、気管挿管時についた傷があって喉が赤くなっていると言われました。その日から飲み食いできる!と期待していたら、先生から「鼻から栄養を入れる経管栄養からはじめます」と言われ、その夜はお腹空き過ぎと痰が出せなくて眠れませんでした。

次の日先生が、「また同じ状況になったらどうしようかな~気管挿管はもうしたくないだろうし、息子さんに相談してみないと」言われ同じ状況?…咳が止まらくって痰が出せない状況…なにもしなくてもいいと思いました。もうあんなに苦しい思いをしながら生きなくてもいいと思いました。次の朝を無事迎えれるか、怖くなりました。もしもの事になったら。。。

主人と息子達へ

主人と息子達に、お礼の気持ちを伝えておかないと!と思い、まず長男に電話。OT(作業療法士)さんに携帯電話を持ってもらいながら…

「お母さんが、また同じ状況になったら何もしなくてもいいから。あんなに苦しい思いをしながら生きようとは思わない。」と話すと、長男からは「もし俺が同じ立場だったら一緒の選択をしていたかも」と理解してくれました。「長男の母親になれてよかった~今まで本当にありがとう。お母さんもしもの事になったら、お父さんと弟達のことお願いね!嫁ちゃんを大切にして幸せになってね」と涙ながらに声も途切れ途切れに話しました。電話を持っていてくれたOTさんも号泣していました。

その後、緊急家族会議が行われたみたいです。夜に次男から電話があり今後の治療についてもどうするか聞かれ、「今は、喉頭分離手術と気管切開、胃ろうまでしても人工呼吸器はしたくない」と伝えました。とりあえずは今の事!病気や治療の事に相談に乗ってくれ、可愛い孫たちと過ごせて幸せだったことを伝えました。

三男には、去年の2月に帰って来て毎日介護してくれた事に感謝を伝えました。 

主人には、「これから先何が起こるかわからないから覚悟だけはしていて欲しい。私がもしもの事になったら私の分まで長生きをして孫たちの成長を見届けて来て!」と頼みました。それまでそんな話しをすると、イヤがっていた主人も前向きに受け止めてくれました。

それからは、咳も出ることなく痰も落ち着いていきました。

雲仙の紅葉綺麗でした!

31日次男家族と紅葉見てきました。綺麗でした~

長文お付き合いいただいてありがとうございましたm(_ _)m

雲仙 仁田峠の紅葉
自宅庭に咲く金木犀
金木犀の花

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