10月14日退院して無事家に帰りました。そこで、初めて知った入院時の事!

救急車を呼ぶ前、SPO2が45%まで落ち唇にはチアノーゼが出ていたそうです。それを見た次男は慌てて肺の圧迫を始めて、三男も『もう~だめかな~』と思ったそうです。当の私は、その頃グーグーと深い眠りに入っていました。目が覚めると訪問看護師さんが居て、救急車のサイレンが遠くに聞こえました。どれくらいの時間だったかは知りませんが、次男曰く...もう~川を渡ろうとしてるところじゃないか!と思ったり、私が目を開けてもボーとしてるので、低酸素脳症になってるのではないかと心配したそうです。

あのまま深い眠りから目覚めなかったら8月26日は私の命日になっていたかもしれません。息子たちに命を救われました。ありがとう~

目次

退院

10月7日、2回目の家族指導があり三男が来てくれ、その後ケアマネさんや各サービスの方々、主人と次男も参加してズーム会議が行われました。私は参加しませんでした。呼吸器の業者の人が来たり…退院に向けて慌ただしくいろんな準備が進んでいきました。

14日の退院の日、病院の方から退院支援室の看護師さん、病棟の看護師さん、PTさん、ソーシャルワーカーさん、呼吸器の業者の人、持続吸引機の業者の人が一緒に付き添われ、私は病院の救急車で帰りました。

家に到着すると、ケアマネさん、訪問看護師さん2名、訪問リハの先生2名、ヘルパーさん2名、福祉用具屋さんが待っていました。お隣さん達2人も私が帰ってくるからと外で待っててくれてたそうです。残念ながら人が多くてあいさつできないまま家に入りました。

総勢16人で担当者会議が始まり、呼吸器の説明、持続吸引機の説明、アトラスラインを使って移乗の方法や排泄の方法など約2時間かかって説明をしてもらいました。最後にチーム奈津美というのでそこにいる皆で記念写真を撮りました。

退院する前、退院支援室の看護師さんが「今から堂々と生きて行ってくださいね!奈津美さんが居るから家族の人たちは普通の生活が出来るんですよ」と言ってくださいました。その言葉に涙が出ました。また「呼吸器をつける選択をしたこともよかったです。付けずに亡くなったら家族は、呼吸器付けてたらどれくらい生きられてたのかな~って、皆さん思うんですよ」って話してくれました。家族で協力しあってるところも珍しくいい息子さん達を持ちましたね!とも言ってくださいました。

呼吸器を付けた事によってあれだけ高かった血圧や脈拍が落ち着きました。血圧は上が80代のときもあります。また、日中は自発呼吸100%で動いているのに、夜寝てしまうと下がってしまうみたいです。

帰って2週間経ちました。今は毎日訪問看護師さんが1日3回来て、お昼前にリフトを使って車椅子に移乗をして午後にベットに戻しに来てくれます。今までみたいに自由に外に行けないのが残念で、帰って来て部屋から出たのは1回だけです。

アトラスラインでの移乗

10月16日が主人の誕生日で、前夜に次男家族が来て帰って来てた主人のお祝いをしてくれました。その時リビングまで行き孫たちと賑やかに食事をしました。いつものように嫁ちゃんの手作りケーキがあり、味覚が戻って食べるケーキはとても美味しかったです。2歳になったたまちゃんが元気良すぎておてんばぶりを発揮したり少女的なところをみせたりと楽しい時間を過ごせました。

美味しかった〜

月曜と木曜日に入浴サービスが来てお風呂に入れます。水曜日と金曜日に訪問リハの先生が来てくれます。重度訪問ヘルパーも毎日来てくれています。週3回はお泊りの人もいて24時間入ってくれるので助かっています。

朝目が覚めると上体を起こし窓を開け外を眺めることから1日が始まります。地デジのテレビが見れないので、プライムビデオとかTVerを見て1日過ごしています。時には外を見てはそこを歩いてる妄想なんかしたりしてます(笑)

ベッドから見える景色
ご近所さんからの贈り物

(長文お付き合いいただいてありがとうございました)

故郷のコスモス畑

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